highriseの日記

自転車に乗ったり、外れ馬券を買ったりしている。

PBP2023

帰国即就寝起床即仕事みたいな流れだったので、特に何も書いてなかったけど、無事に完走した。84時間組でエントリーして78〜80時間ぐらいで走ってゴールする予定を立てていたので概ね予定通りの時間で帰ってきた(79時間50分)。5時スタートの前の方に並んだので最初のトレインがめっちゃ調子よく、Ave30km/hを超えるような状況だったので一気に時間に余裕ができた。とはいえ、こんなのについていってたら一日も持たずにすぐに終わってしまうと思い、1〜2時間でトレインからは降りて第二集団で走った。それでも最初の200kmを7時間半ほどで通過しているので貯金も十分。少々気は早いがこれで勝負あったなと思い、あとはパワーメーターを見て(せっかく新車に搭載したのだし)、登りでもPWR2倍ぐらいまでで抑えるようにしてマイペースで走り、適宜ペースの合うトレインに混ぜてもらうという走り方であった。コントロールの通過も最初の貯金の分だけ予定より前倒しになった感じ。84時間組のよい点は朝起きて夜寝るというサイクルで行けるところと思っていたが、まさにその通りで睡眠に無理のない生活だったと思う。コントロールもガラガラでレストランでも並ぶことはほとんどなかった(90時間組に追いつき始めるとちょっと混んだ)。最後のモルターニュ以降はシアトルのナラヤン、タカトリさん、亀太郎一行と一緒になったので大集団でゴール。

新車は400kmのブルベを走っただけで、1000km超は初投入だったけどまったく問題なし。太いタイヤ(グラベルキング無印32c)は登りでは重さを感じるけど、安定感は段違いだし、絨毯の上を走っているようで快適だった。25cとは別世界。ただ、一回パンクした。ホチキスの針みたいなのが刺さった。コンチネンタル時代はブルベでは一度もパンクしなかっただけに、本州縦断に続いてパナレーサーへの評価がまた一段低下した。コントロールでチューブの予備を補充しようとしたけど、28cまでのものしか置いてなかった。これについては「多少細いチューブでも問題なく使える」という有識者の皆さんからのご意見をいただいたが。

あと、今自分はAJにおいて対ACPの窓口(ACP Representativeの補佐)という役目を仰せつかっているが、面倒だったのは日本人の事故対応の連絡がACPから自分のところに来ることだった。走行中に何度も電話が鳴っていたし(電話が鳴り止んだ後にACP会長からメールが来ていたのでそういう電話だと思われる)、とは言っても集団で走っていると急に止まるわけにもいかずで、メールを打ち返したり、日本の参加者の誰それはDNFですと代理でコントロールのオーガナイザーに伝えにいったりしたが、これは今後どうにかするべき点だと思う。PBPの参加者ではない方に連絡が行くようにしておいた方が双方幸せではなかろうか。以前はどうだったのだろう。また、日本の方で「事故ったけど緊急連絡先を登録してませんどうしたらよいでしょう助けてください」と知り合い伝いに連絡してくる方もいたけど、AJの役員で現地にいる方も一参加者であるのでこういうのはどうしようもないなというのが本音。さらに重ねて言いたいですが、AJの関係者はあなたの紛失物を捜索する係でもありませんよ。この辺は何らかの方法を考えるべきなのかもしれない。

やはりPBPは楽しい。世界中にいろいろな1200km超のイベントはあるけど、世界中のランドヌールが目標にして一同に会する1200kmはPBPだけであろう。Cascade 1200やPerth-Augusta-Perthで知り合った方々もたくさん来ていたし、こういう方々との再会があるのもPBPぐらいのものだと思う。PBPは峠を登って素晴らしい景色を拝めるとかそういうのではないけれど、体験として一番印象的なのはPBPだと思う。また四年後も参加したい。

あれこれはまた別の記事にするつもり(そのうち)。