highriseの日記

自転車に乗ったり、外れ馬券を買ったりしている。

2023 RM429 東京1900km 本州縦断桜前線 DNF

2023 RM429東京1900 列島縦断桜前線

なかなか記事に残しておく気にもならないがざっと書いておこう。一日最長でも280kmまでで8日かけて完走するという緩めの計画を立てて順調に消化していっていたのだけど、7日目の夜、青森の宿まであと10kmちょいというところで後方から車にはねられてDNFとなった。気乗りしないので写真は少なめ。

4/28 前日移動

前日移動は新幹線で。新横浜まで乗り換えなしで行けるようになったので早速それを活用。広島乗り換えで新下関で下車した。下関から関門海峡の人道トンネルを通って北九州は門司へ上陸。五年前にヘブンで門司を通過した際はシャーマーズネックで瀕死の状態できつかった思い出しかないけど、時間に余裕があるので門司で遅めのランチにしたりとのんびりと観光した。その後、下関へ戻って宿にチェックイン。ふぐ関連のお土産を実家に送り、自分たちもふぐを堪能して、その日は終了。

4/29 1日目 下関→大田(270km)

朝から雨。初日を大田までとしていたので、割と後ろの方になるであろうと思い、スタートも後ろの方でゆっくりめにスタートした。なんせ今回一緒に走るちぇさんはオホーツク以来のブルベである。緩めの計画で時間いっぱい使いたい。ドロップバッグなしなので毎日洗濯もしたい(ちぇさんは富山にドロップバッグを送って北よに備えた装備に入れ替えていたようだ)。あと、少なくとも昼飯はどこかでちゃんとした飯にしようというのも合意事項(自分はブルベ中の飯に全然こだわりがないのでコンビニ飯続きでも平気だけど、それはダメだというちぇさんからの強い要望でもある)なので、そこら辺もいくつか候補を決めてある。

初日はずっと雨。予定通りのコンビニで一度休憩を入れた後、道の駅阿武のレストランで刺身定食で昼飯。益田、浜田と通過する。益田競馬場跡にも寄りたいところだが、天気がよくないし、もう跡地といっても場外馬券売り場があるぐらいなのでわざわざコースを外れてまでという気にもならず今回はスルーした。日中は平野さんと抜きつ抜かれつぐらいの感じ。19時頃から雨が強くなって辟易したが、22時頃に無事大田に到着。大田のスカイホテルへ。ホテルの近くにコインランドリーがあるのでそこで洗濯と乾燥をして終了。

2日目は一応最長距離の日なので(283km)がんばらないといけない日。久々のブルベで思ったほどペースが上がらなかったちぇさんより、予定より早めに出ようという提案があり、翌朝は4時半に出ることにした。

4/30 2日目 大田→城崎(283km)

雨雲レーダーの通り、我々が出発する4時半頃には雨は通り過ぎており、もう雨装備はいらないなという状況。まずは出雲大社へ。その後、松江、米子と経由して鳥取県日本海側を行く。

ちぇりーリサーチによる牛骨ラーメン屋で注文してしばし料理が出来上がるのを待っている間に何気なくSNSを見たら、兵庫県内の通行止めの話題が飛び交っていた。兵庫県日本海側の海岸沿いを行くルートとなっているが、この1900kmにおいて一番アップダウンが多くきついところなので、通行止めで迂回せよというのであればこれ幸いと、海岸沿いを全カットするコースを探すことにした。兵庫県民ということもあってかつて車でうろうろしていたこともあるし、そこそこ土地勘はあるのであっさりルートは決まった。岩美から海岸沿いへ行かず、国道9号から神鍋高原を通って豊岡に出て、城崎へ向かうルートである(まぁ手前から迂回しようとするとこれぐらいしか選択肢はないと思う)。あと、「海岸沿いのルートは落石とかあって死にますんで注意してください」*1とブリーフィングで説明されていたが、そんなとこ通さんでくれよというのもあり、迂回するにあたって通る必要がないなら積極的にそういうところはカットしていきたいというのもある。

鳥取県内はコナンの像がいっぱいある町や白兎神社、鳥取砂丘と寄り道をしていく。鳥取砂丘を過ぎると迂回路へということになる。10kmほど距離は増えるし、元ルートより高いところまで登らないといけないけど、アップダウンの数自体は少ないので楽チンであった。香美町村岡は確か高校の同級生のこーじくんが引っ越して家を建てたはずなので、村岡地区を走っている間は「コージー!」と呼びかける迷惑なサイクリストになった。

22時頃に城崎の宿に到着。残念なことにここだけ洗濯設備がなかったので、ここは必要なものだけ手洗いで軽く洗っておいた。

5/1 3日目 城崎→あわら(258km)

6時半に出発。まずは天橋立へ向かうのだが、京都に入ると左手にペットショップtakao、右側に花郷okadaという看板がある、オカダタカオスポットがあるとオカダさんから聞いていたので、そこを私的コントロールとしておいた。天橋立は大学時代に何度か来たことがある。

天橋立を過ぎて福井県に入り、高浜の道の駅で一旦昼飯休憩。三日目ということもあり、8ヶ月ぶりのブルベとなるちぇさんがやや辛そうで、なかなか食事も喉を通らない状況。少しペースを落として行くことにした。

途中ちょっとした事情があってちぇさんに先に行ってもらったはずが、途中でちぇさんが道端仮眠休憩をしている間に気づかずに抜かして、ピックアップしにコースを外れて戻ったところ入れ違いになり……とかでかなり余分な距離を走った。合流後もちぇさんのペースが上がらずで、特に敦賀を抜けて越前海岸沿いに出てからは厳しかった。途中でコーヒー休憩などをしつつ、あわらの宿に到着したのが0時。予定より遅くなったが、時間的に大浴場が貸切でめちゃくちゃ良かった。

近くのコインランドリーで洗濯、乾燥して寝た。翌日は200kmちょいの日なので休息日という位置付けである。

5/2 4日目 あわら→富山(206km)

8時半にスタート。この日以降は登りもほとんどないので、平坦ブルベを毎日こなしていくだけである。スタートして早々におーのさんと再会。

海鮮にも飽きが来ているので、昼飯は内灘の道の駅で普通の昼飯といちごのスイーツを食べたりした。この日も後ろを走っていたはずのちぇさんが急に道端仮眠のために消えており、探しに戻ったりで余分な距離を走ることになった。ただ、距離も短いしアップダウンも減るので随分復調してきたようである。

ちぇさんの強い要望でホタルイカをどこかで食べたいということになっていたが、富山県に入ったのが日没の頃。早めに富山市内に着けば居酒屋的なところに入ればホタルイカを食べることができそうということで、休憩もそこそこにして富山へ急いだ。富山市内のホテルに到着したのが21時半。ホテル併設の日本料理屋がギリギリラストオーダーの時間だったので、チェックインを後回しにしてまずは夕食とした。満足した。この後、コンビニへ自転車で行くことになるのでお酒は控えておいた。日本酒があれば最高の夕食だったが。

ホテルのコインランドリーがちょうど空いていたので洗濯と乾燥をして就寝。

5/3 5日目 富山→新潟(248km)

6時にスタート。1000mも登らないのでほぼ平坦である。親不知を通過し、糸魚川上越と通過していく。日本海側は、金沢を走っているときは白山、富山は立山糸魚川妙高戸隠と見える山が変わっていくのが良い。

道の駅能生では新潟在住のおばたさんに迎えていただいた。フレッシュ以来である。直江津駅周辺で昼飯にしようといくつか店をピックアップしていたけど、どこも観光客で大行列。市街地を抜けた先のラーメン屋で昼飯にした。激辛が売りの店だったけど、ブルベ中に寄るべきではなかったかもしれんな。汗だくになった。

柏崎、寺泊と休憩を入れ、新潟に到着したのが21時前。まずは飯だということで、新潟駅近くの食堂でタレカツ丼を食べてから、万代橋を渡ってホテルへ。ちょうど国道7号の道路元標があるところであった。隣にコンビニもあってとても便利。洗濯と乾燥をして就寝した。

5/4 6日目 新潟→秋田(262km)

ホテルの隣の吉野家で朝飯にした後、6時にスタート。しばらくするとまたまたおばたさん。連日のお出迎え、ありがとうございます。

このルートで一番重要なのがだるま屋ウイリー事件の現場である。念入りに写真を撮っておいた。そして長い長い新潟がようやく終わり山形へ。

昼飯は鶴岡の蕎麦屋。結構時間がかかったのが残念であった。隣の客は怒っていた。

酒田以降は奥の細道でも通った記憶がある。タイミングがよかったので、象潟の道の駅で夕陽を眺めて黄昏た。そして仁賀保由利本荘と通過し、秋田のルートインに着いたのが22時頃。7日目以降は距離が短くなるし、ちぇさんももうすっかり復調していて特に問題なしという状況であった。洗濯と乾燥をして就寝。

5/5 7日目 秋田→青森(216km)

ホテルの朝食を食べてからということにしたので7時半スタートの予定とした。朝食会場にはひらまつ監督やパパさんがいた。予定通り出発し、大潟の桜通りなどで写真を撮りつつ、順調に進んでいく。昼飯場所はいくつか候補をピックアップしていたが、ひらまつさんやよしおかさんが写真を上げていたので道の駅はちもりでがっつり食べようということにした。

青森に入って深浦町イカ焼きを食べていると雲行きが怪しくなり、雨がポツポツと降ってきたので着込んでから出発。で、鯵ヶ沢で写真を撮って、五所川原へ向かっているところでちゃんとした雨という感じになった。とはいえまぁ十分余裕はあるしと思っていたら、五所川原の街中で自分がパンク。信号からリスタートしたときなので停車位置が悪かったのか、たまたまなのか。タイヤを外すと綺麗に金属片のようなものが刺さっていた。

このGWに向けてAgilest Duroに交換したばかり。この数年Continental GPシリーズを使っていて一度もパンクしたことなんてなかったのだが。Agilestに交換したときにGP5000に比べて随分薄いなぁと不安になっていたのだが、その不安が的中という感じ。ブルベで異物が刺さってパンクなんて7年ぶりだ。二度とAgilestには手を出さないぞ。

五所川原から青森はそんなに距離はない。パンクを修理して走り出すも雨は降り続いているしちょっと遅くなったねぇとか、でもまぁまだ十分時間あるしねぇとか話しながら進む。

で、21時頃、浪岡の沢田交差点で国道101号から国道7号に入り、下り基調になったところで、左後方から合流してきた車にはねとばされて終了。一瞬何が起こったかわからなかった。自分は道路に倒れ込んでいるし、しかも国道7号のど真ん中に倒れていて後続が来る可能性がある。すぐに起き上がって自転車を拾い上げて歩道へ。たまたま意識もあって骨折がなくてすぐに動けたからよかったけど、そうでなければ後続の車に轢かれてた可能性が高い。

運転手はすぐに降りてきて、前方不注意だった自分が全面的に悪いと認めていた。警察や救急を呼んでもらい、名刺をもらっておいた。救急車の中で一通り検査を受けたが、ヘルメットは多少傷があるものの割れていないのでおそらく頭は打っていない、触診をしても特に痛みはなさそうなので内臓もおそらく大丈夫、腰の骨もおそらく大丈夫、血圧や心拍も異常なし、ということで、自分には二つ選択肢が与えられた。このまま緊急搬送されるか、自宅に戻ってから病院に行くか。一応車にはねられて落車しているので、頭の検査は受けて欲しいというのが救急隊、警察の意見。ただ、今緊急搬送されると退院後に自転車を警察署に受け取りに行ったり、いろいろと面倒なことは多いと。であれば自宅に戻ってから病院に行くのがベターだし、救急としてもそちらの方がいいと思うとのこと。というわけで、緊急搬送なしということにした。一応同意書にはサインさせられた。

自分とちぇさん(ここで一緒にDNFとなった。本当に申し訳ない)はタクシーで予約してあった新青森東横インへ向かうことにした。二人の自転車をどうするかだが、タクシー会社は時間が時間だし、自転車を二台載せられる車なんてないよとノーの回答が続く(救急隊の皆さんはすごく親切であちこちに電話してくれた)。また、パトカーや救急車では人だけをホテルに届けることはできないし、ましてやホテルに自転車だけを届けることはできないとのこと。ルール上そうなっているのだから仕方ないし、それでも救急隊の方はこういう状況なのでなんとかホテルに送り届けてよいかと上司に掛け合っていただいたけど、やはりルールはルールなのでノー。いろいろ裏技のような案も考えてくれたが、最終的に事故相手の運転手が自分の車に二台乗せて運びますと申し出ていただいた。

というわけで、無事東横インに到着した。ホテルの明るいところで初めて事故後の自転車をまじまじと見たが、左後方から追突されているので、後輪はぐにゃぐにゃ。フレームに干渉していて回らないし、リムも完全に曲がっていてこれはも修理のしようもないレベル。前輪もフレている。サドルも欠けているし、ボトルーケージも曲がっているし、ハンドルバーのエンドのキャップも一個どっかに行ったし、バックパックのサイドポケットに差していたProtect J1も落としてきたようだ。事故直後はホイールを交換したら続行できるんじゃねの?と一瞬思ったけど、ホテルに到着して自転車をよく見るとまぁこれは不可能ですわということで納得した。ジャージも反射ベストも破れてしまったし。

ホテルで残りの行程の予約を全てキャンセルし、さっとシャワーだけ浴びて就寝。随分とちぇさんに気を使わせてしまった。

5/6 帰宅

朝からちぇさんが新青森駅の窓口に出向いて10時半過ぎの新幹線を予約してきてくれたので、朝飯の後は帰宅準備。GWということもあって新青森から東京までの座席を確保することはできなかったけど、仙台までは席を確保できたらしい。DNF連絡もしておいた。

帰宅後

DNFで悔しいでしょうとかいろいろコメントはいただいたが、言うほど認定自体にはこだわっていなかったのでDNFの悔しさとかはあんまりなくて(今回の一番の目的は走ったことのない日本海側を繋げることだったので一応目的は達成している)、こういう事故だっただけにまず生きててラッキーだったというのが一番大きい。ただ、順調に計画を消化していたし、序盤はきつそうだったちぇさんも後半は復活していたし、このような形で終了せざるをえなかったのは残念だな。下関あたりでDNFしてたらまた開催されたらやり直そうという気にもなるが、Garmin Edgeによると1750km走っているので、それをもう一度やり直そうという気になるかは微妙なところ。めんどくさいよな。

あと今回の件で思うのは、前方不注意の車は常に自分の横を通り過ぎているということは自覚すべきということだろうか。頭ではわかっていたけど再認識した。どんだけライトや反射材を付けても、前を見てませんでしたという運転手には何も意味がない。運転手も事故後の警察への証言で「自転車のリアライトは付いていた」と認めているし。でも前を見てないのだ。どうしても今回のような事故はゼロにはできない。

ということもあって、自転車に乗ること自体のモチベーションはあるのだけど、ナイトライドへのモチベーションが下がっていて、ブルベも当面はいいかなという気にもなっている(PBPは行く予定だけど)。これまで当たり前のようにナイトライドをやっていたけど、さすがに一度車にはねられてあの感触を覚えているとなると、雨ライドや夜ライドは蛮勇のように思うし、なかなかこれまでと同じように走ろうという気になれない。命惜しいしな。元々来年いっぱいでブルベを始めて10年ということもあって、そろそろ別の遊び方にも手を出していった方がいいんじゃないかと思い(そういう意味で新車をオーダーしたわけだし)、緩やかにブルベからはフェードアウトしていこうと思っていたのだけど(走るのは年にSRワンセット分とプラスアルファぐらいにしたい。言うてこれでもコア層な気もするが)、それがちょっと早まるかもなという今の心境。まぁしばらくすると何事もなかったかのように普通に夜や雨の中を走ってるかもしれんが。

*1:この説明に対して笑いが起きる参加者もどうかしていると思う。ブルベ界、感覚が麻痺していないだろうか。いつかまた死人が出ると思う。